インド哲学クラス

私たちの存在の源に繋がる 寂静への導き  

真(サット)の存在の源へ繋がるためのヨーガの道は多岐に存在しますが、インド哲学を学ぶことによっても、より深く意義ある行動を起こし、あなた自身について知る手がかりとなるでしょう。インドには六つの主要な哲学体系があります。この六派哲学のうち、ヨーガを行する人たちのために、ヨーガ学派とヴェーダーンタ学派について聞き親しむ機会が多いと思われます。これらは、私たちの心と体のあり方、私たちの存在、自然の法則性を明らかにするための光の道を照らしてくれることでしょう。特にヨーガ哲学は、肉体、意識、精神、霊的な成長を叶える明解な論理と実践法をもち、他国からも広く支持を得ています。

 

ヴェーダーンタ学派

 世界の根本にブラフマンと言う絶対無差別の原理があり、最高我とも呼ばれる。始めも終わりもなく、変化せず永久に存在する。我々個人の存在の奥にあるアートマン(自己の魂)はその最高我と全く同一のもの。このブラフマンとアートマンこそが宇宙における唯一の「有(サット=真実)」であり、これに対立する第二のものはないとする。「不二一元論」、「アドヴァイタ・ヴェーダーンタ」とも呼ばれる。この絶対的真実であるブラフマンとアートマンを知るまでは、無明の中で非真実たる幻、マーヤーに惑わされる。
ヴェーダーンタ学派の中で最も有力で、かつ有名なのはシャンカラの学問系統。しばしば過去のインドにおける最大の哲学者と称される。

 

ヨーガ学派

 我々個人の存在であるプルシャという魂(ヴェーダンタ哲学ではこれをアートマンとよぶ)と、それ以外の森羅万象の大元の源をプラクリティとよび、この2つで世界が構成されているという二元論の思想。プラクリティは転変(evolution)を繰り返し、複雑な世界観を作り上げ、時に心を混乱させる。心もまたプラクリティから生じたもので、心の制御の訓練無しには、新たなカルマを生み出していく。

これら現象世界で起こる苦楽を含めた経験をプルシャに体験させ、執着しているものを完全に放棄することで新たなカルマが生じることを滅し、プラクリティは元の定位置に静かに収束してゆく。この過程を逆転変(involution)と呼ぶ。プラクリティの存在理由は、最終的に自分はプルシャであることを悟らせるためである。

サーンキャ学派と同じく根本思想は二元論とし、ヨーガ修行を通してサマーディ(三昧)に導く点で、ヨーガ学派は実践的な学派である。この哲学思想と心の訓練のために教示された代表的論書が、パタンジャリ編纂の「ヨーガスートラ」である。「ヨーガとは心の働きを止滅することである」から始まり、具体的なヨーガ修行と心得を8階梯で示している。この8階梯の修行法を”アシュターンガ・ヨーガ”、”ラージャ・ヨーガ”と呼ぶ。

インドの言葉で「ダルシャン(ダルシャナ)」とは"尊いものを見る”、”拝む"、"思索"、”哲学”を意味し、「ヨーガ・ダルシャン」と言えば「ヨーガ・スートラ経典」のことを指す。

 

ラージャ・ヨーガの八支則

ラージャヨーガの代表経典は、インド六大哲学体系のひとつであるヨーガ学派の論書「ヨーガスートラ」です。唯一無二の真実在とするプルシャと、それ以外の非真実をプラクリティとし、複雑に展開されたプラクリティの世界であらゆる苦楽を魂が経験するうちに、真実と非真実の迷妄から解き放たれ、自分自信が何ものにも影響をされないプルシャであることに気づくことが、最終目的のサマーディです。

初めの階梯であるヤマ(禁戒律)、二ヤマ(勧戒)で生活や精神基盤を正すことは、社会に適応する能力を上げることのみならず、過去から未来にわたる複雑なカルマを精算し、障害を取り除くための重要な実践です。

ヤマ(禁戒律)
      不殺生・非暴力(アヒンサー)
      真実 (サッティヤ)
      不盗(アステーヤ)
      禁欲(ブラフマチャリヤ)
      不貪(アパリグラハ)

二ヤマ(勧戒)
      清浄(シャォチャ)
      満足(サントーシャ)
      苦行(タパ)心身に熱意を上げるためのもの
      学習・読誦(スワデャーエ)聖典を学び、内省すること
     祈念(イーシュワル・プラニダーナ)

上記のヤマと二ヤマが習慣付いた後、アーサナとプラーナーヤーマで心身を整えます。

アーサナ(坐法)
一般に「アーサナ」という言葉は、ヨーガ体操のポーズと認識されていますが、ラージャヨーガでは足を組んで座り「不動で快適に座ること」を「アーサナ」とよんでいます。

プラーナーヤーマ (調気法)
プラーナと呼ばれる気の流れと動きをコントロールすることで、それぞれ肉体、マインド、理知の鞘の混乱を解消し整え、私たちの真の姿へ意識を向ける準備を始めていきます。

プラティーヤハーラ(制感)
感覚器官がコントロールされて外界の対象物と結びつかない状態を作り、自己の内側に意識を向けていきます。これをプラティヤハーラと呼びます。八支則の中で、このプラティヤハーラは内と外の境が際立つため、ここまでの支則をバヒランガ・ヨーガ、ここから後半の支則をアンタランガ・ヨーガと包括して呼ぶこともあります。バヒランガ・ヨーガは、主に専念する対象が粗雑な肉体、または可視的な外界にある行で、アンタランガ・ヨーガは専念する対象が気やチャクラ、サンスカーラ、心、魂など精妙なものに傾倒していく行を言います。

ダーラナー(凝念)
鼻先、心臓部のチャクラなど体内のある部分、また、空間、天体、神像、音などに対して、チッタをそこにとどめることをダーラナーといいます。

ディヤーナ(静慮)

ダーラナーと比べて異なるところは、瞑想している対象に対して、チッタの様々な働きが転々と変わることなく、連続的に絶えず一つのチッタが瞑想対象に専念していること。言い換えると、ダーラナーの段階では2つ以上のチッタが入れ替わる傾向があり、他の記憶や思いによって集中が持続してない状態。このディヤーナは、ダーラナと比べはるかに心が落ち着いています。

サマーディ(三昧)

新たなカルマを生み出す因がなくなり、たとえ行為を行ってもカルマに縛られないほどサンスカーラが清算された後で、最終のサマーディがおとずれます。サマーディの状態を言葉で示すことは簡単なことではありませんが、ヨーガスートラの教示するところでは、

プラクリティは、転変されていくプラクリティの世界をプルシャに見せて経験、放棄させ、自分の役目を終えたので、変化を続けていた心がグナに収まり、プラクリティの源へ収束し、没入する。 この状態をカエヴァルヤという。 もしくは このようにも言える。 ドラシュター(目撃している人、プルシャ)が自らの根源に安住すること これがカエヴァルヤである。

 自身の顔は鏡によって見ることでみることができるように、私たちの魂(プルシャ)も水晶のような清らかな心と正しい理知に映し出すことで観照することができます。プルシャとプルシャを映しだす鏡は異なるものですが、二つは極限まで近づき、心の働きが真に止滅した時、これをヨーガ・スートラでは”カエヴァルヤ”と表現しています。

人間の中に存在する三つのグナの異なる比率

サットヴァ グナ (善性 建設的  調和 温和)
ラジャス グナ (動性 混乱 癇癪 激情)
タマス グナ(鈍性 破壊的 否定的 混沌 無秩序 無知 邪悪 暗闇)

すべての人はこの3つのグナの性質を持ち合わせています。この比率によって、心の状態、正しい思考と選択、人間関係が変わります。サットヴァの傾向が強くなるほど、素晴らしい師にめぐり合い、ヨーガの成就に向けて良いスタートを切ることができるでしょう。日々心の訓練と研鑽、バクティヨーガ、菜食中心の食生活によってもサットヴァ性を高めることができます。

チッタとよばれる心の中で起こる様々の過程

チッタの中の思いの波のことをヴリッティとよびます。
そのヴィリッティを止滅(ニローダ)することがヨーガの目的とするところです。
そのヴリッティは5つに分類されます。

 

プラマーナ(प्रमाण )(証明 証拠 正しい知識)

プラティヤクシャ プラマーナ(प्रत्यक्ष -प्रमाण  )

(直接経験による知識、瞑想で体験した知識。私たちが見、感じるものは何でも証明。)

アヌマーナ プラマーナ(अनुमान -प्रमाण  )

(分析、予想、推論による知識 ジュニャーナヨーガ)

アーガマ プラマーナ(आगम -प्रमाण  )もしくは アープタワーキャ

(ヴェーダ、仏典などの聖典、偉大な人物の言葉から得た知識)

 

ヴィパルヤヤ(विपर्यय)(誤謬、誤った知識)

例:暗闇で縄を見て蛇だと思う。真珠の母貝の一片を銀の一片と思う。

 

ヴィカルパ(विकल्प )(真実性を持たない言葉、イマジネーション)

 

二ドラー(निद्रा)(眠り、無知的な暗闇の瞑想)

 

スムリティ(स्मृति)(記憶 念)